rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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今日の朗読箇所じゃなかったけれども。

第1朗読だったので、使徒パウロの手紙だったと思う。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
み子を遣わされた。ここに愛がある。神は愛なり」

カリタスの黙想会に初めて行ったとき(ってことはだいぶ前だ)、
ここをもとにした賛美歌を知り、思いっきりstruckだった。

「ひとりごを遣わし神は私たちに
命を得させてくださいました。
私たちが神を 愛したのではなく
神が私たちを愛し、 み子を遣わされた
ここに愛がある 神の愛が示された
ここに愛がある 神は愛なり」

この歌から思い巡らせることはとても多いけれども。
今日の朗読のところで、イエスを通じては
「然り」が実現し、「否」はない。という記述があった。
神様はすべての契約、すべての約束において「然り」な方で、
私たちのように「否」という可能性はない、と仰る。

私たちの約束は「絶対」ではない
どんなに「絶対」といおうと、私たちは弱い人間だから。
でも、神様の約束には「然り」しかない。
どんなに遠回りをしても、
どんなに苦しいことが起ころうとも。
神様の約束に「然り」しかない。

だから、例え何が起ころうとも
私たちを励まされる。

それは神様が私たちを愛しているから。
だから、その約束を、神様は
ひとり子をお遣わしになり、イエス様を通して
私たちの罪を贖うという形で新しい契約を完成させられた。
もっとも大きな約束をそうして果たされた。

だからこそ。
神様を信じて。
私たちの望みが、神様のみ心にかなっていることを祈って。
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