rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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まだ正確に言葉になっていないけれども。

ここ数日で、「出会った」日本人のムスリマの方たちの中で何人かと言葉を交わさせていただいた。その中に、「かつてカトリックで、Missionaries of Charityに志願者として入会志願していた」とおっしゃる方にメールをいただいた。

そのメールを読みながら、根底に流れるものが同じであるということにひどく嬉しい気持ちを止められなかった。

彼女がカトリックですごしてきたから、というのが確かにあったかもしれない。けれども彼女が「アッラー」の愛を感じ、信じ、委託し、時に苦しみ、辛い思いをしているその思いは、私ととても似たものがある。いや、私だけではなくて、多くの「信仰」を持つものの中に同じものがあるに違いないと思わされた。

彼女は「知識があったことが私を妨げたのではなくて、知識があると奢っていたことが私を妨げた」と言った。それは今の私にも当てはまり、心が痛かった。

Ahmedは以前、とても「Supervise」するのが好きな人だった。私が同じことで苦しんでいたとき。彼は、「でもさ。」と始めた。私はそれに対して怒り、彼にとても憤慨し、彼が何も言えなくなるまで言葉で責め続けた。

今彼は私に「祈ろう」という。

私の中の「祈り」が甦るのを信じてくれたのだろうと思うのだけれども、同じ宗教でない人にそういうのは簡単ではない。

テレーズに導かれながら、私はロンドンで、たくさん日本にいてはなかなか出会うことのないムスリムの人にも出会い続けた。それが私に、やはり「神はひとつ」ということを思わせる。

このたくさんの出会いに感謝。そしてこれが私をさらにどこへと導いていくのか。主にお任せしてみようと思う。
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