rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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年末に友人とのメールの中にこんなくだりがあった

「命をかけて闘わなければならないときには
  Jesusが教えてくれる。だからその時を逃しちゃだめなんだよ」

彼女の闘いもまた、イエスが与えたもの。
そしてその与え方は個々人で異なる。
彼女には主は真っ向から正面勝負で挑みかかる(らしい)。

私には「探しなさい。あなたは私を本当に求めているか。」
と、ひねくれたやり方で私を不安にさせる。
感じられない。いるのに、あなたはいるのに。
その不安。何で起きてくれないの?

まとまらないなぁ(笑)考えが。

まりのように、放っておいてもいい、つっついても投げてもいい。
私は、幼子イエスのおもちゃとして自分をささげたテレーズを思い出す。

突き破って中にあるものを見届けて、眠ってしまう幼子イエス。
遊んであげずにまりを放っておいてしまう幼子イエス。

それでもいいのだと彼女は言う。

信仰の闇が彼女を襲ったとき。
その山の中のトンネルを歩き続けているとき。
彼はいないのに、彼女は自分を導いているのは、
彼の目の光だと断言している。

…私は今、どの方向に進めばいいのか分からないけれど
私の中のあなたは眠っているけれど

でも私を導いているのはあなただと信じている。

命がけで召し出しの中の、私だけの召し出しを求める。
その闘いは、イエスによって私にもたらされる。
私の召し出しに、このVocationに愛されている!と
心のそこから叫ぶとき、あなたは私の手を再びとられる。
そして、道を示される。

命を賭けてあなたの召し出しに応え、
命を賭けてあなたを探す旅に出よう。

この短い旅の終わりが何を見出すのかを求めるのではなく
このたびの先にあなたの召し出しが、あなたの意思があることを信じて。
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