rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
昨日の恵みを夜、思い巡らせながら日記を書いていた。
最近、聖母マリアと聖ヨゼフのことを書いた本を読んでいる。人を愛すること、神を愛すること。そんなことを考えながら。

聖テレーズのMa vocation, c'est l'amoureux。
それは、私のVocationでもあり。そして「愛になる」ということが今、ゆっくりと彼女の手で導かれながら、神様のご計画に沿って進められているのだとしたら。私の道はどこにあるのだろうか。

アビラの大聖テレジアは「主のみで足りる」といわれた。

なぜならすべての人の中に主はおられ、主はすべての人であるから。だから主を愛することと、人を愛することは…同義。なのかもしれない。もしそれが、地上の鎖に繋がれた愛し方でないのならば。

主は「私は道である」と言われた。

WYDのテーマ、「私たちは拝みにきました。」その星の下に主はおられ、そして、色々な道を通ってそこへたどり着く。そうして、そこから「別の道を通って」、その道の先で彼らのみたものを伝えに散っていく。主は道であり、門であり、扉であり。だとするならば、何があろうと人々は共に主に繋がれ、導かれ、その「道」(主)を歩くようにとされているのではないかしら。

その人その人のvocationを愛すること。それは、その人の道を愛することであり、またそれを計画なさる主への信頼に繋がっていくのだろう。

主は愛。教会の心臓で私は愛になりたい。 そうテレーズは言った。すべての行いはどんなによいものであろうとも、愛がなければ空しい。だから愛になりたいと。愛になること。愛することではなく、愛そのものになること。

地上の鎖に繋がれた愛ではなく、主よ、あなたの愛をわけてください。その愛であなたを愛せるように。そして、そうすることで私があなたが愛するように愛することができますように。あなたは愛。ならばその愛を与えられた私も「愛になること」がきっとできる。

鷲の雛は恐れません。たとえ雲が太陽を隠しても。その向こうに太陽があることを知っているから。

この恵みを心に留めて。
スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://maytetherese.blog11.fc2.com/tb.php/15-1e98d9d5

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。