rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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首題は今年のWorld Youth Dayのテーマ、マタイ2:2.
東方の3博士が生まれたばかりの幼子イエスを
拝みにきたときの箇所です。

その時に準備会で、
「別々の道を通って帰った」というところで、
同じ星を目指して巡礼し、帰り道が違ったというのは
得ることがそれぞれ違った、ということにつながる
という話がありました。


まとまらないながら、その時に思い浮かんだのが
使徒パウロの手紙にある言葉、
「人々の賜物はそれぞれ異なるけれどもそれを与える方は同じ」
というところ。

博士たちが別々のものを主に捧げたように、
私たち自身が捧げられるものも異なると思う。
「私たち自身」がそれぞれ異なるのだから。
そして、私たちが得るものもきっと違う。
得るもの、というよりVocation?は、
どれひとつとして同じものはないと思う。
だからこそ、共に巡礼をしても、
お互いに違う道を通って帰るのだろう。

星を見つけに。というより、その星を確かめ、
その星に導かれ、ついていく。
その決心は決して簡単なものではないはず。
ヘロデの追撃をも覚悟していくこともきっとあるはず。

その星の意味するところから、
共に祈りのうちに、その「別々」の帰り道を辿りながら
その源であるその星につながっていることを信じ、
葡萄の幹に連なる枝としてよい実を結ぶことができるように
祈りながら。

昨日ドイツに発った友人たちと祈りのうちに一致しつつ。

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