rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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今日の第1朗読はシラ書。

立ち帰ろうとするものに、神は道を開かれる。

という、新約でいうところの放蕩息子に通じる部分があった。
…正直な話、涙が出そうだった。

私はいつも、どこかでだめになる。
どこかで自分に甘くなる。最後の最後で頑張りきれない。

とか言って、今だって論文やらないでこれ書いてるけど

聖三位一体の祝日の昨日、お説教で神父さんが
「私は、なぜ聖三位一体の祝日を、復活節にやらないのかと思うのです。なぜ、Ordinal Yearにするのかと思ったのです。でも、良く考えてみたら、それはとても正しいことのように思います。なぜならば、聖霊降臨(ペンテコスタ)の後、聖三位を賛美することで、新しい日々を始めるために、復活節の後に来ているのだと、思い立ったからです」と仰った。

なるほど。

だったなら、私も今週から、新しい私を始めよう。
そう思って、今日から頑張ろうと思い始めたからだ。

朝の祈りに、毎日のミサを開き、一日の奉献をして、第1朗読をふと読み始めたとたんに。立ち帰るひとへの主の愛が、溢れていた。

ああ、神様は待っていたんだ。

そう思ったとたんに、とても嬉しかった。
神様はこうやって、私が帰ってくることを励まされる。
何度も、何度もこうして、帰ってくることを励まされる。
何度離れても、何度帰ってきても。
そして、「おかえり」と何度でも迎えてくださる。

鷲の雛のように。
例え私の信仰が曇っても、
その雲の向こうには、大きな太陽が輝いている。
それを私は、知っている。

主に感謝。あなたはいつも、私を引き寄せ抱きしめて、
このままの私を愛してくださる。
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