rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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私の愛する人の兵役期間が決まった。

危惧していた通り、専門官として3年間服役することになったらしい。まだ最終通知は来ていない。非常に辛かった。

その日、彼のところに私の送ったシブハ(イスラームのロザリオのようなもの)が届いた。同じ石で私はロザリオを作って持っている。身近において、祈るときに相手と共に神に向かう。私が祈るときは彼も祈っている。彼が祈るときには、私の心もそこにいる。

3年間は長い。

神様がそう望まれたから。彼に3年の兵役期間が必要だと、望まれたから。すべては主のみ心のままに。私たちは、祈りながらも、神にすべてを委ねて来た。裏工作もせず、主のみ心が行われるように祈りながら。だから、それを受け入れようと、今はその「受け入れることができますように」と祈ること。私も、彼も、今はその心を準備してください、と祈る。

離れていることに変わりはないけれども、兵役に行くのと、普通に暮らしているのでは違う。

でも、私たちは、共にたくさんのことを、祈りとともに乗り越えてきた。主が望まれるならどんな高い山にでも登ろうと。今私たちの間には、同じシブハとロザリオがある。祈るとき、私たちはひとつになる。神に向かうその姿勢で、私たちは共にある。

主に感謝。

すべてのことがみ心どおりに成りますように。
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クリスマス、主イエス、幼子としてこの世にもっとも弱い姿でお生まれになった私たちの大事な方。その方を心に抱いて祈りを捧げ続けた。

待降節、ロザリオに出ながらあるとき突然、光が差した。「私がやっていることはみ旨に適っているだろうか。ただの自己満足になっていないだろうか。」そう思いながら毎日を過ごしていた時に、何かが心を打った。そしてこの迷いが「これでいいのだ」という確信に変わった。

そこで何があっても、きっとそれは神のみ旨に適っている。

そう、思えるようになった。それが、神様から私へのクリスマスプレゼントなのだと。「あなたは私の心に適った道を通っている」という。分からなくなったら、また祈り続けよう。
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