rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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年末に友人とのメールの中にこんなくだりがあった

「命をかけて闘わなければならないときには
  Jesusが教えてくれる。だからその時を逃しちゃだめなんだよ」

彼女の闘いもまた、イエスが与えたもの。
そしてその与え方は個々人で異なる。
彼女には主は真っ向から正面勝負で挑みかかる(らしい)。

私には「探しなさい。あなたは私を本当に求めているか。」
と、ひねくれたやり方で私を不安にさせる。
感じられない。いるのに、あなたはいるのに。
その不安。何で起きてくれないの?

まとまらないなぁ(笑)考えが。

まりのように、放っておいてもいい、つっついても投げてもいい。
私は、幼子イエスのおもちゃとして自分をささげたテレーズを思い出す。

突き破って中にあるものを見届けて、眠ってしまう幼子イエス。
遊んであげずにまりを放っておいてしまう幼子イエス。

それでもいいのだと彼女は言う。

信仰の闇が彼女を襲ったとき。
その山の中のトンネルを歩き続けているとき。
彼はいないのに、彼女は自分を導いているのは、
彼の目の光だと断言している。

…私は今、どの方向に進めばいいのか分からないけれど
私の中のあなたは眠っているけれど

でも私を導いているのはあなただと信じている。

命がけで召し出しの中の、私だけの召し出しを求める。
その闘いは、イエスによって私にもたらされる。
私の召し出しに、このVocationに愛されている!と
心のそこから叫ぶとき、あなたは私の手を再びとられる。
そして、道を示される。

命を賭けてあなたの召し出しに応え、
命を賭けてあなたを探す旅に出よう。

この短い旅の終わりが何を見出すのかを求めるのではなく
このたびの先にあなたの召し出しが、あなたの意思があることを信じて。
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召し出し。それに10年間、応えてきたつもり

でも。

私はそれにいまだかつて、命をかけて応えてきただろうか。
常に手は差し伸べられ、与えられ、示され、手を引かれて来た。それこそ、テレーズが幼い頃からたくさん与えられてきて、召し出しにも、何の抵抗もなく応えようとしたように。

彼女の最初の試練は、15歳でのカルメル入会だった。

彼女はそれを召し出しと信じて、その時の彼女なりの一生懸命、を一生懸命に実行して見せた。幼いイエスは彼女が自分を「まり」として差し出したのを受け取って、それを突き破ってしまわれた。

「中にあるものが見たかったのです」

と、彼女は言う。

まりの中には、普通何も入っていない。空の空間。幼いイエスはそれを見て、自分が入る余地があることを知り、満足して眠ってしまわれる。

彼女のその後の試練は、召し出しに答えてカルメルに入ってから。
信仰の闇、応えてくださらないイエス。暗闇の中、山の中のトンネルを頂上へ向けて歩いていくこと。何も見えない中、イエスはお起きにならない。それでも彼女は知っていた。自分の側で「彼」はいつも共にいて彼女を導いてくれると。病の中、彼女の命を賭けた闘いは続く。信仰の闇は、空へ聳え立つ壁のように高く、はちきれそうな帳のように彼女を覆う。それでも彼女は必死に「信じよう」とする。己の召し出しを求めて。「カルメリット」としてではない、自分だけの召し出しを探して。

主は、私を突き破られた。そして今また、私の目の前にいながら、眠っておられる。揺さぶっても、声をかけても、起きてくださらない。こんなに、呼んでいるのに、こんなに導いてほしいのに。どっちに行っていいのか、分からないというのに。

でも。

それが「私に渇きなさい」という、あの同じメッセージなら。

この試練を闘うこと。投げ出さずに命を賭けて闘うこと。
あなたは私にこの道を歩ませたいのでしょうか。

今再び、召し出しの中の私の召し出しを求めて。
この道に生きるというだけではない「私の」召し出しを求めて。
私は、引き返さずにこのトンネルをあなたを信じて、
いつかあなたのみ顔を仰ぎ見ることを信じて。

テレーズ、あなたの道を私は選びましょう。
この信仰の闇にあっても、
「あなたを愛します!」とあなたが叫んだように。
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