rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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大好きなテゼの祈り。

そのおおもと、テゼ・コミュニティの創始者であるブラザー・ロジェが、刺殺され、帰天された。

…今はただショック。
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ここ数日のことを思い返してみる。

私がこの国に再び戻ってきたこと。

その目的は、達成されなかった。

けれども、その日からここ数日。私は今、新しい出会いと再会に「襲われ」ている。文字通り。生まれて初めての「後悔しなかった不合格」に始まる自分との出会い。そして、私の過去。

あの私にとっての私を変える第一歩だった悲しい結末の始まり。そしてそこから始まる約1年という、苦しかった日々。そこから抜け出そうともがいて己を失い、天に向かって叫びを上げ、時に怒号を上げながら、あの頃の人々とあまり接しないようにとしてきた日々。断ち切ってしまった関係。絆、結びつき。

その中で、青年活動(?)を通して得た友人たちの助け、私を生き返らせようとする人々、反発、祈り。私を支えてくれた人たちと、私の反発、そして依存、天へ向けた単純なまなざしと、友人たちとのかかわりの中での己の信仰のカタチの変化、分かち合い。

今、時満ちたのか、それがゆっくりと融合していこうとしているのか。

私がここに戻ってこなければこんなことはなかったし、自分が変えられていなければ再会はありえなかっただろうと思う。

私がここに戻ってきた、私自身の目的は達せられなかった上に、World Youth Dayも逃してしまった。けれど、私の上に星は確かに輝いていた。そして、私はそれを目指してこの国に戻ってきたからこそ、この恵みを受けている。

主よあなたのみ旨を行いたくて私はこの国に戻ってきました。そして今、あなたのみ旨は私の思ったところにはありませんでした。けれども主よ、あなたの手は私の側にあり、私を支え、愛し、私がもっと愛であふれることをお望みです。

私がもっと愛することができるように、あなたは私にあなたのみ旨を行われたのでしょう。

私は「別々の道を通って」、ロンドンへ帰ることができるのでしょう。星は、いつも私の上に輝いているのですから。

今、私は過ぎ去った時という戒めを解かれ、そっと私を愛するものの手で背中を押されている。これで、私を縛り付けるものはなくなった。
首題は今年のWorld Youth Dayのテーマ、マタイ2:2.
東方の3博士が生まれたばかりの幼子イエスを
拝みにきたときの箇所です。

その時に準備会で、
「別々の道を通って帰った」というところで、
同じ星を目指して巡礼し、帰り道が違ったというのは
得ることがそれぞれ違った、ということにつながる
という話がありました。


まとまらないながら、その時に思い浮かんだのが
使徒パウロの手紙にある言葉、
「人々の賜物はそれぞれ異なるけれどもそれを与える方は同じ」
というところ。

博士たちが別々のものを主に捧げたように、
私たち自身が捧げられるものも異なると思う。
「私たち自身」がそれぞれ異なるのだから。
そして、私たちが得るものもきっと違う。
得るもの、というよりVocation?は、
どれひとつとして同じものはないと思う。
だからこそ、共に巡礼をしても、
お互いに違う道を通って帰るのだろう。

星を見つけに。というより、その星を確かめ、
その星に導かれ、ついていく。
その決心は決して簡単なものではないはず。
ヘロデの追撃をも覚悟していくこともきっとあるはず。

その星の意味するところから、
共に祈りのうちに、その「別々」の帰り道を辿りながら
その源であるその星につながっていることを信じ、
葡萄の幹に連なる枝としてよい実を結ぶことができるように
祈りながら。

昨日ドイツに発った友人たちと祈りのうちに一致しつつ。

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