rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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日曜日、四谷の英語ミサに1年ぶりに参加し、
ロザリオで先唱をし

サンマルクで久々のチョコクロを食べていると
テキストが入る。
「今日、WYDの準備会があるよー」…要するに出ろと。

WYDに参加はしないけれども、HPのスタッフの1員として、参加しているだけに思い入れは強い。

準備会に参加できただけでもどんなに嬉しいことか。
「ひとりじゃいかれないからつれてって」と、メールを返し
イグナチオを歩いていると、いきなり目の前に
「あれ?ここにいたの。」と出てくる人がいた。

久々に見る顔がたくさん。
所属教区をどこを書いてよいのか分からず、
結局Westminster教区Farm St.Church所属、にしてしまった。

「まいて!元気だった!?」
「まいて、無事でよかったよ」
「ロンドンはどうだった?本当に大丈夫?元気でよかったよ」

ああ、覚えていてくれたんだ。
ということだけじゃなくて
自分に場所が残されていたことに幸せ。

人の温かさと、優しさと、自然さを感じた日。
やっぱり、この集まり、好きだなぁ…。
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「あなたを愛することができるのは今日しかないかもしれないのだから」という想いで始める聖テレーズの「今日のためだけに」の祈り。そして、1日の終わりに叫びとして「あなたを愛しています。だからこそ、あなたにすべて委ねます」祈る「愛の祈り」。

7月7日を経験してそれまで以上にその想いが自分にとって本当になっていくのを思う。人はいつ、何があるのかわからない。本当にその想い、祈りが身につまされた。私が生きている、それだけで奇跡に等しい。

…だからこそ、今日しか私の主を愛せる日がないかもしれないと、精一杯今日を生き、今日の終わりに「あなたを愛します。命がある限りにいい続けます」と、もしかしたらこれで終わってしまうかもしれないからこそ叫び声をあげる。

あなたを、愛していますと。

7.7を超えて私は生きている。
あの恐怖も悲しみも、忘れることはできない。
私はLondonerのひとりとして、Londonに生きていることを
心のそこから誇りに思う。
そしてそれと同時に、
今日与えられた命を精一杯生きる。

主よどうか。
御許に召された人々を抱きしめてください。
そしてロンドンが一日も早く、
悲しみから立ち上がりますように。
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