rien que pour aujourd' hui

今日という一日、命を与えられた恵みに感謝して、ただ今日を一生懸命に。

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夜の祈りでいつも祈る、大好きな祈り。

「愛します、あなたを。
そう言いなさいと 誰かが教えてくれたからではありません。
心の中に、その言葉が浮かんできた、
そのためでもありません。
あなたは愛であると、信仰によって確かめたからでもありません。
わたしのためにあなたは死んだ、
いいえ、それだけのためではありません。
愛します、あなたを。
胸の中に吸い込まれる空気のように、
身体を流れる血潮のように、
あなたは私の中に入って来たから。
誰も入って来られなかったところに、
誰も助けられなかった時に、
誰も慰め得なかったその日に、
あなたはやって来られたのです。
毎日あなたに語り、
毎日あなたを見つめ、
わたしは知ったのです。
あなたの顔には答えがあり、
あなたの言葉には教えがあり、
あなたの愛には解決がある。
愛します、あなたを。
何年も、何年も。
あなたは私とともに生き、
わたしはあなたに養われていたのに、
気がついてさえいませんでした。
あなたのおきてにうるおされていたことを。
それが私を育て、
強いものにし、
元気にしてくれたのです。
でも私は知りませんでした。
母に抱かれる赤子のように、
この上なく優しい、あの名前を。
受けてください。
ーほんの少しではあってもー
私の感謝の気持ちを。
注いでくれたこの愛に対して、
この愛ゆえに、私に残された生命のある限り
私は言いたい、
あなたを愛します、と。

これに関する思いはまた後で♪
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…行きたかったのだが。行かれなくなりそうだ、ということ、
どうなるか分からないこともあり、申し込みをしないことになった。

ああ、こうやってまた、輪になかなか入れなくなっていくのかな。

と思う。
WYD行きたかったなぁ。

なかなか人の輪に入るのが得意でない私が、
YGTをきっかけにしてちょっとずつ中に入るようになって、
それが今回の渡英でやっぱりちょっと遠くなってしまって。
日本に帰ってからまた再びみんなに会って
どうなるのかかなり心配だったりする。

主のみ心のままに。

よいように計らってくださる。
そう信じて。
今日の朗読箇所じゃなかったけれども。

第1朗読だったので、使徒パウロの手紙だったと思う。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
み子を遣わされた。ここに愛がある。神は愛なり」

カリタスの黙想会に初めて行ったとき(ってことはだいぶ前だ)、
ここをもとにした賛美歌を知り、思いっきりstruckだった。

「ひとりごを遣わし神は私たちに
命を得させてくださいました。
私たちが神を 愛したのではなく
神が私たちを愛し、 み子を遣わされた
ここに愛がある 神の愛が示された
ここに愛がある 神は愛なり」

この歌から思い巡らせることはとても多いけれども。
今日の朗読のところで、イエスを通じては
「然り」が実現し、「否」はない。という記述があった。
神様はすべての契約、すべての約束において「然り」な方で、
私たちのように「否」という可能性はない、と仰る。

私たちの約束は「絶対」ではない
どんなに「絶対」といおうと、私たちは弱い人間だから。
でも、神様の約束には「然り」しかない。
どんなに遠回りをしても、
どんなに苦しいことが起ころうとも。
神様の約束に「然り」しかない。

だから、例え何が起ころうとも
私たちを励まされる。

それは神様が私たちを愛しているから。
だから、その約束を、神様は
ひとり子をお遣わしになり、イエス様を通して
私たちの罪を贖うという形で新しい契約を完成させられた。
もっとも大きな約束をそうして果たされた。

だからこそ。
神様を信じて。
私たちの望みが、神様のみ心にかなっていることを祈って。
聖テレーズの祈り。「今日のためにだけ」

なんという謙遜な祈りだろうか。

そうなのだ、私たちはとても弱く、主によって生きている。
彼がお望みなら、私たちの命は1瞬後にはない。
でもこうして生きている。
だから今日を一生懸命に生きる。

だからこそ、私があなたを愛することができるのは
今日だけかもしれないから。
私があなたを愛するために生きることができるのは
今日だけかもしれないから。
だから、せめて今日だけ、
私があなたが望まないことをしないように
私を守ってください。

明日も、あさっても、とは言いません。
私の命はあなたが望めば、あるでしょう。
でも私にはそれは定かではないから。
あなたが明日私を望めば、私の命はあるでしょう。
あなたがあさって私を望めば、私の命はあるでしょう。

でも、それは私には確実ではありません。

だから明日のためには祈りません。

主よ、どうか今日一日
私があなたを精一杯愛することができるよう。
あなたの愛を貸してください。
あなたのその無償の愛を、私に貸してください。
あなたが私を愛するように私があなたを愛せるように。
私の主、私のイエス様。

今日私の命がある限り。
私にあなたの微笑をください。
私にあなたの愛をください。
そして私にあなたを愛させてください。
あなたがくださった愛を私もあなたにお返しできますように。

私の手に、空の手に
あなたの愛を乗せてください。
私があなたに差し上げることができるように。

主よ。今日一日。

あなたを愛します。

YGTが近い。

去年の6月のYGTのCD(すがぴーさんきゅう)を聞きながら、なんだかとても懐かしくて涙が出てきてしまった。この国でも青年活動はある。私の通う教会でも最初の日曜日に青年ミサがある。けれど知り合いのいない私はなかなか溶け込めずにいる。

そんな中去年のYGTを思い出した。歌い手をやらせてもらった。2年前のYGT。初めて参加した時、私のことを知り合いに紹介してくれた人がいた。その次のYGTは、SJと参加した。この2年、色々なことがあった。

テゼにも顔を出すようになって、あちこちに行って。

相変わらず泊まりの会合には行かれないけれども、色々な人と共に祈る嬉しさを分かち合い、色々な人と話をし、色々な人の人生を垣間見て。自分がいかに井の中の蛙であったかを、知ることになった。私という人間を変えてきた。

ひとりで祈り、ひとりで耐え続けてきた15年もの年月を、中間達との出会いが大きく変えた。私をより多くの祈りが支えてくれるようになった。心から信頼する友人たち。共に祈り、ともに信仰について語り、ともにギャグをかます。日常茶飯事に聖書の言葉がぽい、と口をついて出てきてもそれがとてもごく自然だったり。

そう。7の70倍、とかね。

YGT。出たかった。本当に私にとっては「出会っていますか」という1年前のタイトルどおり、あそこは出会いの場だったから。

主は言われる。私の名によってあなたたちが集まるところに、私はいる。と。あなたの名によって集まる彼らの上にお恵みを。せめて魂だけでも、そこにいることができますように。
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